布施美佳子てどんな人? Wiki風ご紹介♪
名前 :布施美佳子(ニックネーム:みけら)
出身 :秋田県能代市
生年月日:1973年8月27日

※50歳のお誕生日にあたる2023年8月27日、世間を驚かせるセレモニーをしてニュースになりました! それについては別の記事でご紹介していますので、よかったら最後のリンクから見てみてくださいね!
家族 :3人兄弟の長女。下の二人が生まれてからは、母方の実家に預けられ、祖父母から愛情を注がれて育つ。母からは「女も仕事を。手に職をつけなさい」と育てられた。既婚。子供(娘)が一人。
布施さんの祖父母 引用:CHANTO WEB
学歴: 文化服装学院 アパレルデザイン科(1991年〜1994年)卒業

文化服装学院といえば、髙田賢三や山本耀司など、世界で活躍するデザイナーも輩出してきたファッション・服飾の専門学校ですね。

文化服装学院は世界でも高く評価されていて、アメリカのビジネスマガジン、CEOWORLD magazineが毎年発表している『世界のファッションスクールランキング(大学・専門学校)』では、2022年に10位、2023年は15位、2024年も13位と毎年ランクイン!
日本国内のファッションスクール(服飾系大学・美術大学関連学部・専門学校)で最も高い評価を得ている学校なんだって!
参考:CEOWORLD Magazine: Best Fashion Schools In The World For 2024
経歴:
- 1994年:若年層向けのアパレルメーカー、ヒステリックグラマーに就職。
- 1999年:玩具メーカーのバンダイへ転職。商品企画開発に従事。アパレル事業部では、キャラクターとアパレルブランドの融合や、女性用ブリーフ「mi・ke・ra」など新規事業を主に担当する。
- 2014年:雑貨メーカーの株式会社COVERへ出向。クリエイティブプロデューサー。子ども向けの玩具という枠から離れて「自由にやりたい」という願いを叶え、かぶるだけで仮装ができる仮装アイテム「かぶるかみぶくろ」を企画するなど、独自のアイディアでヒットを飛ばす。
- 2015年:新規事業企画を任されたのを機に、一人で「GRAVE TOKYO」を立ち上げ、可愛く華やかな骨壺や死装束を企画。その商品は2015年末の「エンディング産業展」に出展、注目を集める。社内事情によりクローズとなったため、2021年退職。
- 2022年:独立後、ブランド「GRAVE TOKYO」を再始動。
職業 : 棺桶・骨壷デザイナー。棺作家。葬送クリエイター。フューネラル(葬儀)ブランド「GRAVE TOKYO」の代表。
布施美佳子はかわいい○○を作ってる?
布施美佳子さんが代表を務めるGRAVETOKYOがつくるもの。それは、かわいい「葬儀具」。
かわいい棺桶や骨壺を中心に、かわいい最後の衣装や位牌、遺影のフォトフレームなどのかわいい葬儀具を作成するとともに、生前葬も含めた「可愛い葬儀」を提案しています。
また、可愛い棺の中で、自ら書いた弔辞が読み上げられるのを聞く「入棺体験」をアトリエやファッションビルなどで開催したり、自身の「生前葬」を行ったりと、若い世代から年配者まで幅広い年代から注目を集めています。
引用: Instagram

「入棺体験」や「生前葬」については別の記事で詳しくご紹介していますので、ぜひそちらもご覧になって下さいね!
布施美佳子がこの仕事を選んだ理由
とても「パワフル」と言われる布施さんですが、なぜこのように、棺桶や生前葬のプロデュースなど「死」に関連する仕事をされるようになったのでしょうか。
もともと布施さんは幼少期からあまり生に執着がなく、生と死についてよく考える子供だったようです。
初めて死を意識したのは小学校四年生の時。秋田を中心に「日本海中部地震」が発生し、小学生が大勢津波にのまれて亡くなりました。
生きている意味や意義について真剣に考え、10歳くらいのときには自身にとってとても辛いことがあり、毎晩のように「もう命を終わらせたい」と思っていたと語っています。
高校生の頃は、時代的にも『ノストラダムスの大予言』が流行っている時期で、布施さんはそれを真に受けて『どうせ人生は27歳までなのだから、そこまではがんばって生きよう』と。
「せっかくなら自分のやりたいことをやって生きていこう」と思えるようになったようですが、幼少期に感じた希死念慮は、ずっとベースに残っていました。
結局予言は外れ、なにごともなく2000年代を迎えましたが、そこに至るまでの20代の頃、布施さんは学生時代の同級生や先輩など身近な人を、病気や事故、あるいは自死で相次いで亡くなるという経験をされました。
文化服装学院時代に一番優秀だった同級生も、卒業の1年半後、22歳の若さで亡くなり、20人以上もの友人知人の死を経験してきたそうです。
そして多くの葬儀に出席する中で、「友人たちは皆おしゃれで個性的だったのに、昔ながらの画一的な葬儀に真っ白い骨壺で “故人らしさ” が全く感じられない」と違和感を覚えたそうです。
数々のお別れを通して、布施さんは、死ぬときには 自分が着たいと思える死装束、入りたいと思える骨壺を選び、自分らしい葬儀を行いたい、
そのために「自分の葬儀は自分で準備しておきたい」「”一番最後に自分が入る家”である骨壺は自分で作りたい」という思いを温めていきました。
事業化への道
その後、企画案を出すチャンスが巡ってきたときに、それまで温めてきた「おしゃれな死装束やデコ骨壺」などの企画も出したところ、当時の上司が、映画『おくりびと』のモデルになった納棺師の方と友人であったことなどから、事業化への道筋が開けたようです。
特に海外の「子ども向けキャラクター」をあしらった骨壺に大きな反響があり、人生の最期に好きなキャラクターと一緒に旅立ちたいというニーズは、老若男女問わず誰にでもあるはずだ と確信して様々なキャラクターで提案を続けましたが、死を連想させるものにキャラクターを使うことに対してはなかなかOKが出ず、布施さんは、独立という道を選びました。
独立後は、”骨壺に入る前に最後に入る個室” である「棺桶」に着目。
自分だったらどんな棺桶に入りたいかを考え、棺桶づくりのために職業訓練校に通って 壁紙貼りの技術を習得し、かわいい壁紙を貼った棺桶を制作。
そうして完成した「好きな布地を貼ったかわいい棺桶」は10代の若い女の子たちにも大人気!
「かわいい、入りたい」という声をヒントに、実際に入ってもらおう、そして写真を撮ってSNSで拡散してもらおう、と「かわいい棺桶への入棺体験」をスタートさせたそうです。
まとめ
・布施美佳子さんは、秋田県出身の棺作家(棺桶デザイナー)
・子供の頃は希死念慮があり、20代では友人知人が相次いで 若くして亡くなるという経験をした。
・出身校は、文化服装学院アパレルデザイン課
・アパレル、玩具メーカー等を経て、葬儀ブランド「GRAVE TOKYO」を立ち上げる。
・かわいい棺桶を中心に、かわいい葬儀具などを作成♪
・アトリエやカフェでの「入棺体験」や終活のワークショップ、「生前葬」などの企画も行っている。
いくら「かわいい」葬儀具を使っていても、「入棺体験」や「葬儀・生前葬」なんて縁起でもなくない? とか、自分にはまだ縁がないな、と思われるかもしれません(私も最初に聞いたときはそう思いました)。
私も、色々なことを少しずつ整理して、第二の人生を迎えていきたいという想いを持ち始めていましたが、その過程では「生が終わる」ということも連想しますので、怖さを感じないといえば嘘になります。
でも、この可愛くきれいな葬儀用品を見ているうちに、そういったネガティブさが薄れていき、前向きに向き合えるようになる感じがしました。
ともすれば忌避されがちな葬儀の話題。でも、「かわいい」葬儀具のおかげで死の重さをやわらげつつ、「自分らしい納得のいく葬儀」を準備できるようになるという素晴らしいメリットがあるのではないでしょうか。

布施さんの行っている「入棺体験」や「生前葬」については、下記の記事に詳しく載せました。
色々な気づきを与えてくれると思いますので、あわせてご覧くださいね!^^
・棺桶に入るなんて怖くない!?「入棺体験」なんで人気?どこで体験できる?
・生きてる間にやっちゃうの!?生前葬てどんなもの?布施美佳子さんの生前葬をご紹介!
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