昨年末、紅白に初出場を果たした演歌・歌謡界の新星といわれる新浜レオンさん、恥ずかしながら知らなかったのですが、本日「徹子の部屋」で拝見し、強い印象を受けましたのでご紹介させていただきます!
昨年末に紅白歌合戦に初出場した新浜レオンさん、紅白の際は緊張よりも「ただただ幸せな気持ち」で舞台に立ったそうですが、今回の徹子の部屋は「両親や姉弟と共にずっと見てきた番組で震えるものがあり、ただただ緊張している」といいながら、元気いっぱい、明るく楽しいトークを繰り広げていました。
新浜レオンてどんな人?(その1)
・生年月日 1996年5月11日
・身長 180cm
・学歴 千葉英和高等学校、大東文化大学
新浜レオンの家族は?
父親:髙城靖雄(演歌歌手。一時期、芸名は水原達也)
「伯方の塩」のCMに出ており、あの「は・か・た・の・しお!」の声の方だそうです!
母親:くみこさん
料理教室の先生。ご実家は秋本梨園を営んでいる。
きょうだい
姉が一人(5歳上)、弟が一人(6歳下)。
計5人家族ですね
新浜レオンの生い立ち。学歴からデビューまで
新浜レオンと野球
演歌・歌謡界の新星といわれる新浜レオンさんですが、元々は小学校から高校まで野球をやっており、本気で甲子園を目指していました。
高校は、県内の強豪校である私立の千葉英和高等学校。キャッチャーでキャプテンもやり、後にプロ野球選手となる重田倫明ともバッテリーを組んでいたそうです。
最高でベスト4まで行ったそうですが、甲子園出場は叶いませんでした。
演歌・歌謡歌手を目指した理由
野球の夢が叶わなかったレオンさんは、父のやってきた演歌歌手という仕事に目が向きました。
それで高校3年生の時、まだ丸坊主の時に父親のかばん持ちをし、仕事場でディレクターから厳しく対応される父親の姿を見たりして辛かったそうですが、そういう大変な苦労を家族の前では見せたことがなく、歌一筋で家族を養ってくれた父親に改めて人として憧れ、父のようになりたい!と思ったそうです。
また、父がファンだったという西城秀樹さんも幼い頃から大好きで、演歌・歌謡歌手を選んだ理由のようです。

レオンさんは、西城秀樹さんの曲もたくさんカバーしていますね!
西城さんより少し高めのツヤのある声で、西城秀樹さんの奥さまや息子さん、ファンの方々もレオンさんのことを温かく応援してくれているそうです💕
デビューまで
しかし、母親に大反対されます。今まで本気でやりたいと思ったことを反対されたことはなかったレオンさんでしたが、お母さまは顔を真っ青にして本気で怒り、「それだけはやめなさい!野球で鍛えた体力があるのだから、公務員になりなさい!消防士や警察官になりなさい!」と言われたそうです。
話し合いの結果、「大学にいって、4年間過ごしてそれでもなりたければなればいい」と言われて、大東文化大学に進学しました。
そして、大学4年6月、紹介してもらった芸能事務所ビーイングに所属することができ、無事デビューを果たしました。

野球で鍛え、キャッチャーをやってたので腰回りも太く、今より25キロ大きかったというレオンさん。
テレビでは大きく見えるから「絞ろうか」と言われて、2週間で10キロ減らしてデビューしたそうですよ(@_@)
「大学4年間でデビューが決まらなかったら諦めるように」言われていたレオンさんは、有酸素運動など、とにかく強い気持ちでがんばったそうです。
さすが、スゴイ根性がありますね!
デビュー後の活動
新浜レオンは演歌・歌謡曲が根っから大好きとのことですが、所属事務所は倉木麻衣やB’zが所属する事務所で演歌歌手の先輩は一人もいなかったということから、当初はどのようにプロデュースしてもらえるのか、とても不安だったようです。
結果的には、従来の演歌歌手の地道にキャンペーンをしていくやり方だけでなく、テレビバラエティやドラマへの出演、サンリオなど企業とのコラボやティックトックなど、演歌歌手としては新しいやり方を絡めながら、「若い層にも演歌・歌謡になじんでもらいたい」という新浜レオンさんの希望も叶えるような形で進められているようですね!^^
新浜レオンてどんな人?(その2)
新浜レオンの膝スライディング(ひざスラ)はいつから?
新浜レオンといえば、紅白でも披露した「ひざスラ(膝スライディング)」。
木梨憲武、所ジョージが「スター系歌謡ロック」として「全てあげよう」をプロデュースした際、木梨に「西城秀樹のように熱く歌うのは当たり前。レオンらしさを」と考えてくれたのが「ひざスラ(膝スライディング)」でした。

野球をやっていたのでスライディングは得意、それにキャッチャーをやっていて、ショートバウンドを止めるのに膝をつく動きとリンクして すぐできたとのことでしたが、おもいっきり衣装に穴が開いていました~(笑)
どんな場所でも依頼されればひざスラするとのことで、膝の所が真っ黒になったり穴が開いたり…

去年は1000回ひざスラしたとのことで、衣装のズボンは、9本同じのがあったりするそうですよ!😆
レオン語
また、「新浜レオン」の名前から「今日も一日、かけあが・レオン!」とか言っているそうですが全然ウケない(笑)とのこと。この「がんばレオン!」「おつかレオン!」みたいなレオン語、木梨さんからも「受けないからやめろよ」言われているそうです(笑)が、これだけは受け入れず続けているとのこと
今回の徹子の部屋への出演が決まったと報告をした際にも「徹子さんに、これからもレオン語を使っていいか確認してこい」と言われたとのことで、徹子さんは「いいんじゃないの?」と言いつつ、
実際にハイテンションな「しび・レオーン!」を聞いて、「・・どうかしらね・・」と戸惑っていました(笑)
新浜レオンの彼女は誰?
結論から言うと、彼女の情報はありませんでした。
子供の頃からいつも友だちに囲まれていたというレオンさん、イケメンなのできっとモテていただろうな~と思いつつも、高校までは甲子園目指して野球に打ち込んでいたということですから、きっと女の子とのお付き合いよりも 友達や野球を優先していたのではと(勝手に(笑))想像しております。

ちなみに、「優しくて純粋な方、年上の女性」に惹かれるようですよ♪
今も、まずは仕事第一と打ち込んでいると思われますが、明るくて、人を楽しませたいという想いがすごく見えるエンターテイナーであり、誠実そのものと感じさせるレオンさんですから、きっと素敵な人との出会いがあるだろうなと感じております。
ニュースが出るのを楽しみに待ちたいと思います♪^^
最後に ~「徹子の部屋」で母からの手紙~
かつては演歌歌手になることに大反対していたお母様ですが、今では家に帰ると、手を組んで「レオンさま お帰り!」と迎えてくれるそう^^。
テレビや雑誌も全てチェックしているというお母さまから、徹子の部屋に出演するレオンさんに、サプライズお手紙が来ていました。
2900gで生まれ、本当に手がかからず子育てできました。
小中高校と野球一筋。高校のお弁当は二合のご飯を入れていました。一粒も残さず、きれいに食べてくれましたね。
反抗期もなく、レオンの周りにはいつも友だちがいて、何に対しても全力で毎日を過ごしていました。
大変だったことは、大学での就職活動。家族会議をして、本当にやりたい仕事は何と聞くと「歌手になりたい」と言いました。私は大反対です。でも今は私もファンの一人です。
2年もうちに帰ってきていないけれど、生放送のテレビを見て、今日も元気、いい顔をしていると安心しています。
うちに帰ってきたときは、バスク風チキントマト煮とワインで乾杯しましょう。
その日を楽しみにしていますよ
レオンさんは涙をにじませながら
「どこまでいっても原点は母であり、父であり、自分を作ってくれたのは両親。野球の時もこれからも大変な思いをさせてしまってる。絶対もっと大きくなって、喜んでもらえるように頑張ります!」と感謝の言葉を述べつつ、
「うわー!でもなにこれ!びっくりしました!」と叫びながら、母の教えである「人をだますより、だまされなさい」を地で行ってしまった!と笑っていました☺️

バスク風チキントマト煮とワインが、レオンさんの好物なのかな?
素敵なご家族の様子がうかがえますね🥰
今後の活動
新曲が2曲、出るようです♪
「炎のkiss」は前作「全てあげよう」にひき続き 木梨&所プロデュース、
「Fun! Fun! Fun!」は小さい子からみんなで歌えて踊れる楽しい曲です♪
まとめ
今回は新浜レオンさんについて、「新浜レオンてどんな人?家族やデビュー経緯、彼女のwiki風ご紹介から徹子の部屋でのトークまで♪」と題してお送りしました。

本当に、性格の良さ、明るさがにじみ出ていて、とても素敵な人だったので、これから全力応援したくなりました!
皆さんも、ぜひTVer、Abemaで、見てみてくださいね!
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!😄
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