「ホンマでっか!TV」を始めとする知的バラエティ番組やワイドショー、情報番組、その他多くのメディアに出演し、的確なコメントと明るいキャラクターで、コメンテーターとして大活躍している牛窪恵さんですが、その半生にはいくつもの苦難がありました。
今回は、「草食系男子」という言葉を生み出した牛窪恵先生につき、ご紹介させていただきます!
写真出典:本人Instagram
牛窪恵のプロフィール
生年月日:1968年1月1日(元旦生まれ!オメデタイと言われて育つ)
出身地 :東京都杉並区
職業 :マーケティングライター、世代・トレンド評論家(経営学修士)

幼少期は一人っ子特有の競争心のなさで、徒競争でも足は速いのにゴール前で立ち止まって一位を譲ってしまうような子だったそうです☺️
牛窪恵の実家
牛窪恵の父親はテレビマン
牛窪恵さんの父親は、テレビ局(フジテレビ)で働いており、
人気ドラマの演出やトーク番組のプロデュースなど、プロデューサー、ディレクターとして活躍していたテレビマンでした。
外では活躍していたお父様でしたが家庭では問題だらけだったようで、平日は芸能人と飲み歩いて家に帰ってこず、まるで母子家庭。
たまに帰ってきても、お米が自分好みに炊けていないと箸もつけないなどの「暴君」だったそうです。
休みの日には近所の子供たちや恵さんと野球をするなど「外面」は良いけれども、恵さんの成績が5から4に下がるとお母様を責め(娘には嫌われたくないので娘には怒らない)、冷静沈着なお母様に理屈で勝てなくなると、手をあげる場面もあったようです。
また、「束縛男子」でもあった父親は、結婚と同時にお母様に仕事を辞めさせたそうですが、収入は良くても父親が飲食や服に浪費するので、家計は厳しく、お母さまがこっそり答案添削の内職をして補填していたそうです。
(両親はともに早稲田大学の出身だったといいますので、お母さまも相当優秀な方だったんですね。)
また、父親は結婚当初から女優を含む何人もの女性と浮気をしており、浮気相手の女性から家にいたずら電話がかかってきたり、玄関前に動物の死骸が置かれるなど、長い間 嫌がらせが続いたそうですが、その元凶である父親は家族の迷惑を顧みず、家庭では暴君としてふるまっていたので、父親が帰ってくると家の中はピリピリした空気になる状況だったようです。
そんな父親ではありましたが、よかった面は、娘の恵さんに仕事現場を見せてくれたこと。
娘に自分の良い所を見せたいという目的だったようですが、
テレビの裏方で生き生きと働くスタッフの姿を見て、「いつかこういう場で仕事がしたい」と思うようになり、女性が関われる裏方という観点から「脚本家」という職業を意識するようになっていったそうです。
牛窪恵の学歴
牛窪恵の高校
豊島岡女子学園高等学校(現在の偏差値76)➡ 中退
幼少期から成績が良かった牛窪さんは、公立中学校を卒業後、学区1位の都立高校に進学を希望していました。
ですが、デリケートな思春期に父親の影響で家庭のストレスが大きかった牛窪さんはホルモンバランスを崩して持病へと発展、得意だった体育も見学せざるを得なくなったことから内申点が届かず、滑り止めだった私立に通うことになりました。
とはいえ、偏差値70以上の難関進学校が滑り止めだったというのですから、本当に勉強が得意だったのですね。
ただ、こうして入った高校は校則が厳しく、その指導方法を見ていて納得がいかないことが多かったようです。
高校の教育方針になじめなかった牛窪さんは、持病が悪化して高校2年生で中退することとなりました。
同じ時期、家庭でも、父親が女優と不倫をしたことで週刊誌に追いかけられており、それまで浮気を許してきたお母様も、実母のご逝去が重なった心労で心を病むようになり・・という事情も重なっていたといいますから、家庭のストレスもあったのかもしれません。

この時もお父様は 娘が高校を中退することが気に食わず、お母さまに当たり散らしていたといいますから、
令和の現在ではあまり見なくなったような父親像ですね
牛窪恵の大学
日本大学芸術学部(映画学科・脚本専攻)
校風が合わず高校を中退した牛窪さんでしたが、大検13科目に合格し、
大学受験資格を得ることができました。
本当はご両親の卒業した早稲田大学に進学して、有名な広告研究会で勉強したかったという牛窪さんでしたが、大検合格後からの受験勉強期間が短く、第2志望だった日大芸術学部に進学しています。
第2志望だったものの、クリエイティブな日芸は牛窪さんに合っていたようで、
脚本に活かすべく「人間観察」を始め、持病も落ち着き、充実した毎日を過ごしたそうです。

この期間にご両親は離婚をしています。
母親に負担をかけないために牛窪さんは勉学に励み、
授業料免除の特待生になっています。ホントに優秀なんですね!😆
牛窪恵の大学院
なんと49歳のとき、立教大学大学院の経営学博士課程に入学!
ビジネスデザイン研究科で学び、MBAを取得し、成績優秀賞や優秀論文賞も受賞しています!
牛窪恵の経歴
大手出版社に就職してセクハラに遭う
大学を卒業した牛窪さんは広告代理店への入社を希望しましたが 最終面接で不合格となり、
大手出版社に就職しました。
仕事内容はイメージしたのと違っていましたが、バブル景気で一所懸命働き、一所懸命遊んだそうです
この出版社時代に学んだことは多かったようですが、大変な経験もされています。
そのうちの一つが上司からの過度なセクハラ。
社内の個室で迫られ身の危険を感じることもあったそうですが、それを部長や女性の先輩にも相談すると、逆に「あなたに隙があったから」とみんなの前で笑われ、大きなショックを受けたそうです。
もともと脚本家を目指すために会社は5年で辞めると決めていた牛窪さんは、27歳で退職します。
派遣会社で正規雇用と非正規雇用の違いを痛感
その後、派遣会社に登録して、3ヶ月の条件で大手住宅メーカーに派遣され、新鮮な経験をする一方、社員にしか資料が配られないなど、正規雇用と非正規雇用の違いを痛感することになります。
これらの経験一つ一つが、後の牛窪さんの仕事に生かされていくことになります。
フリーライターになりストーカー被害に遭う
その後フリーライターとして仕事を始めた牛窪さんでしたが、
やがて知人の一人から男女の関係を迫られ、ストーカー行為にエスカレートして行きます。
それはあっという間に事件に発展し、弁護士を立てて直接の接触を避けたにもかかわらず、
一人暮らしの家や 実家まで追ってきたり、両親まで脅されたり、
マスコミ各社に誹謗中傷のファックスをされたりと心身共に追い詰められ、
体重が13キロも落ちたそうです。
このストーカー行為によって一度は仕事を奪われた牛窪さんでしたが、
後に夫となる人の励ましもあって乗り越えています。
また、この時の経験から、後に出版社に雑誌の特集企画として「ストーカー」関連の特集を持ち込み、当時のストーカー研究の第一人者であり「おひとりさま」の提唱者、岩下久美子さんとの縁につながっていきます。
有限会社「インフィニティ」を設立
2001年4月、33歳の時にマーケティング会社「インフィニティ」を設立しています。
社員などスタッフ数は、女性ばかり約30名。
事業内容は下記の通り。
・テレビ・ラジオ番組等の出演及び企画・制作
・新聞・雑誌等の企画・制作・取材協力
・講演・イベント活動に伴う出演及び企画協力
・各種PR活動に伴う調査設計及び分析・コメント協力 ほか
マーケティング力を生かして企業からの案件を受け、そこからトレンドを読み、作り、広めていく事業を展開しています。
政府機関や自治体の委員会・会議体のメンバーを歴任
・財務省 財政制度等審議会専門委員
・内閣府「経済財政諮問会議」政策コメンテーター etc.
など、内閣府、経産省、内閣官房、議員連盟などで
研究会や会議体のメンバー、サポーター、コメンテーターなどを歴任。
講演多数、大学の客員教授を歴任
・立教大学大学院・客員教授(消費者行動論)
・文京学院大学大学院・客員教授(人材マーケティング)
その他、各企業、団体、学校などで講演多数!
著書を多数出版
時代のトレンドを鋭くつかみ、記事・書籍化している牛窪さんの著書は二十冊以上になります。
そしてそのタイトルには、「おひとりウーマン」「ゆるオタ君」「年の差婚」「おひとりさま」「草食系男子」「お嬢マン」「独身王子」「ただトモ夫婦」「エコ恋愛(ラブ)」「おゆとりさま」「キズナ系親孝行」「さとり世代」「男損」「ポジティブ・ケチ」など、
時代を反映するキャッチーな言葉が使われていて、思わず手に取ってしまう魅力があります。
牛窪恵の家族
牛窪恵の夫
後に夫となる佐々木淳さんとの出会いは、大学の卒業旅行で行ったサイパンのプール。
突風でビーチテーブルが大量にプールに降ってきたとき、泳いでいた牛窪さんを助けたのが佐々木さんだったそうです。
ドラマチックな出会いですね!
牛窪さんは東京、佐々木さんは関西在住だったため、長い間、友人として関係が続いていたそうですが、ストーカー被害をきっかけに急速に仲が深まり、30歳で結婚されています。
写真出典:AERA DEGITAL(岸本絢)

結婚にあたっては牛窪さんのために東京へ異動してきてくれるなど、数々のエピソードからとても優しい人だということがわかります🥰
牛窪恵の子ども
牛窪さんにお子さんはいません。
仕事に邁進してきた牛窪さんも、40歳を目前に子どもを作ろうかと思った時期があったそうです。
ですが、その動機の「タイムリミットが迫っている」「子供を産めば物書きとして仕事の幅が広がる」という身勝手な考え方をしていた自分に気づかされ、
会社やその他、夫や会社スタッフとの関係など様々な状況を考え、「子供はうまない」という選択をしたそうです。
牛窪さんは夫に、「君は、やりたいことと、自分の能力と、お金を稼げる手段がすべて一致している。でも普通は違う。みんなが仕事優先ではないし、夢をかなえたいと思っても、手を伸ばせない人もいるんだよ。」と言われたことがあったそうです。

確かに、若い頃にはとても苦労してきたけれど、その一つ一つを無駄にすることなく仕事に結びつけることができたように見えますし、
「やりたいことと能力とお金を稼げる手段がすべて一致している」というのは、どれもモノにできなかった筆者から見ると、本当に羨ましい…..
実際、牛窪さんは会社のスタッフからも、そのように言われることがあるそうです。
その結論として、「手に入れられなかったもの」を作った、というように感じました。
まとめ
今回は、「草食系男子の生みの親、牛窪恵の父親は最低男!?ストーカー被害を乗り越え、現在につながる強さを得た牛窪恵の学歴や夫との馴れ初めなど、半生をご紹介!」と題してお送りました。
テレビのバラエティで見る牛窪さんは、ちょっととぼけた明るい雰囲気もありますので、調べてみて、こんなに昔から幅広く活躍していた人なんだと驚きました。
「おひとりさま(マーケット)」「草食系男子」「年の差婚」などを世に広めた
・牛窪恵は有限会社「インフィニティ」の代表取締役
・牛窪恵の父親はテレビマンで家庭では暴君だった
・牛窪恵は、豊島岡女子学園高校中退後、大検を経て日大芸術学部を卒業
・牛窪恵は、50代で立教大学大学院を修了。
・大手出版社でセクハラ被害、フリーランスになってからはストーカー被害に遭う
・牛窪恵の夫は会社員でやさしい人。子供はいない
・牛窪恵は、政府関係機関の会議体などでメンバーとして活躍
・牛窪恵は、多くのテレビ番組でコメンテーターとして活躍

書籍には、牛窪さんを始め20名の女性有名人が取り上げられていて、知らなかった皆さんの経験に驚いたり励まされたりと、とても有意義な読書タイムとなりました。

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